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アフリカ戦線

ナチス・ドイツのフランス侵攻緒戦のイギリス・大陸派遣軍に機甲師団は無く、本格的に機甲師団が実戦参加したのは北アフリカの戦場からであった。フランスからの撤退時に戦車は遺棄されたため、マチルダ歩兵戦車とアメリカから供与されたスチュアート軽戦車・グラント/リー中戦車を中心に、旅団規模で運用された。マチルダは鈍足、スチュアート軽戦車は装甲・火力が不足、グラント/リー中戦車は英国戦車に欠けていた大口径砲を装備していたが、旋回砲塔ではなく車体への装備という時代遅れの構造であり、枢軸軍を破る決定打に欠けていた。

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アメリカからシャーマン中戦車の供与が始まり、イギリスも新型クルセーダー巡航戦車の配備を本格化し、師団規模での運用が始まった。歩兵戦車はチャーチル歩兵戦車へと移行した。シャーマン中戦車はバランスの取れた傑作戦車であったが、イギリスはまだ巡航戦車と歩兵戦車の二分論にとりつかれており、中途半端な戦車を作り続けた。クルセーダーMk.IIIは三人乗りで、強力な6ポンド砲を生かしきれなかった。チャーチルMk.IIIは不整地最大速度13km/hで、装甲が厚くなったMk.VII以降ではさらに鈍足になった。

チャーチル歩兵戦車は終戦までイギリス製戦車の主力であり続け、歩兵戦車としては十分な性能であったが、最大速度20km/hでは、機動兵器としては落第であった。ようやく、イギリスも歩兵戦車というコンセプト自体の問題を悟り、スーパーチャーチルなど歩兵戦車の改良計画を中止し、巡航戦車の大型化による主力戦車化を進めた。巡航戦車 Mk.VIII セントー・巡航戦車 Mk.IX クロムウェルなどを経て、1944年センチュリオンとして結実した。しかし、第二次世界大戦中には量産は間に合わず、戦後イスラエルなどに供与されている。

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2009年04月27日 10:34に投稿されたエントリーのページです。

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